宅建協会筑紫野支部主催の研修の第一部が「大伴旅人の館跡はどこか」という事で、第二部の「敏腕家主による空室対策」よりも実は興味がありました。
というのも、『令和』になってから話題の坂本八幡宮に、昨年の12月に360度写真の撮影に行っていたからです。
当時はだれもいなかったのに長蛇の列らしく、最近は少し落ち着いているらしいけど、それでも数十人の行列らしいです。
■2018年12月22日撮影(誰もいなかった)
講師は、心のふるさと館長の赤司善彦氏でした。
初めに「太宰府」と「大宰府」の違いから古代の大宰府の役割、大宰府の都市計画などの説明がありました。
その後、大伴の旅人の館跡はどこだ?という事で
「坂本八幡宮」なのか?、「榎社周辺」なのか?、「大宰府政庁横の月山東官衛」なのか?
まあ、結論はわからないとの事でした。
一部メディアでは坂本八幡宮とも報道されているけど、どこにもそのような根拠もないし文献もないとの事で、60年ほど前に出版された書籍に「政庁跡北西の坂本八幡宮付近が館跡ではないか」との記事の一部「付近」が消されて報道されてしまっているらしい。
また、坂本八幡宮の周辺は発掘調査が行われており、官衛(役所)遺構の特徴や官衛遺物の特徴はあったが邸宅の特徴は無かったとの事でした。
残念ながら坂本八幡宮説は無いのではないかとも思われますが、とりあえず謎のままで、今後の調査を待ちましょう。
■まだ誰もいなかった頃の坂本八幡宮(きれいに掃除はされていました)
■坂本八幡宮にある大伴旅人の歌碑と解説版
■坂本八幡宮から東に100メートルほどのところにも大伴旅人が詠った歌碑と解説版があります。